十二夜−闇と罪の王朝文学史
- 作者: 高橋睦郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/11/26
- メディア: 単行本
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私たちは自分たちの風土が季節の変化に富んでいるから旧くから季節感に敏感だったと教わり、疑わずに来た。しかし、ほんとうにそうだろうか。季節の変化に富むと言うことは季節が微妙にゆるやかに変化するということだ。そういう微妙でゆるやかな変化はそこで生きる人人を、逆に変化に対して感じにくくするのではないだろうか。むしろ寒暑の差の激しい風土の方が人を季節に対して敏感にするのではないか。共通感覚としての四季がほんらいわが国になく、中国にあったと思われるゆえんだ。
春たちける日よめる
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん 紀貫之
・・・
秋立つ日よめる
あききぬとめにはさやかにみえねどもかぜのおとにぞおどろかれぬる 藤原敏行朝臣
・・・は、かの地とわが国の風土の違いから、まだ秋の涼しさには遠いのにつとめて涼風を感じ取らなければならないと言う制度としての季節への恋がくきやかにうたわれている。これは貫之の春歌とて同じで、わが国の立春はむしろ寒さの極みで、事実として「水のこほれるを春立つけふの風」が「とく」ことなどありえまい。
暦と実際の季節感覚がずれるのは旧暦との食い違いのせいと思ってたけど(うっかりしすぎ?)実際は平安の昔からだったとは!
ふるくから歌に読まれる「吉野の桜」って言うのを見たかったんだけど花粉の季節だし〜大渋滞だそうだし〜とあきらめてた。そうか「吉野の雪」でもいいわけか!!?
「吉野の雪」っていうと脇息蹴っ飛ばす大納言家の瑠璃姫想いだすのは・・・問題アリ?!